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「初めてのアメリカ旅行with恋人以上婚約者未満」を終え、無事に婚約者ステータスに落ち着いて帰国した私たちだったが……。
家に帰ると、不動産担当者からの電話やメール攻撃が待っていた。
「〇月×日までに契約変更の手続きをしてください。さもないと、退去になります。」
当時住んでいたマンションは、会社名義で借りていたものだった。つまり、会社を辞めた場合、そこから引っ越すか、名義変更の手続きをして家賃を100パーセント払わなければならない。
勘のいい読者はお気づきだろう。そう、夫は年末づけで働き始めたばかりの職場を辞めていたのだ。夫が急に仕事を辞めたのは、これが2回目だった。
実は、「日本の働き方になじめず職を転々とする」のは、日本に住む外国人あるあるである。日本人は「家族のために」、家族と過ごす時間を犠牲にしてまで残業しまくるが、アメリカ人は「家族のために」、定時ぴったりに帰宅して家族で過ごす時間を大切にするからだ。
「家族のために残業をする日本人」と「家族のために残業をしないアメリカ人」。仕事に対する考えがまったく反対なため、日本流の働き方に夫がストレスを感じるのは無理もない。
そんなわけで、毎日21時、22時まで残業して当たり前の会社を4か月でやめた夫は、年始早々、会社の名義で借りていたマンションから引っ越さなくてはならなくなったのである。
2人にとって、初めて同棲したマンションだ。さぞ特別な思い入れが……いや、全くなかった。浸ってる場合ではない。今すぐに新しい家を探さなければ。
名義を「個人」に変更すれば、そのまま住み続けられる。だがその場合、会社が払うからいいだろうと思っていた家賃を、自分たちが払うことになるのだ。はっきり言って、年末づけで退職した無職の私たちに、月15万も払う余裕などなかった。
家探しも職探しも焦る私に対し、夫は終始マイペースだった。焦ってもしょうがない、なるようになるよ、というスタンスを崩さない。は? 何言ってるんだこいつは。これが東京砂漠で生まれ育った私と、アメリカはテキサス州の、ほんとに何もない砂漠地帯で育った夫との差なのだろうか。
焦ったところで、ないものはない。むしろ無駄に動くと照り付ける太陽に体力を奪われて死ぬとでも言いたいのだろうか。
しかし、疲れた夫の顔を見てはたと気づく。そうか、夫は東京砂漠で十分戦った後なのか。彼なりに頑張って働いたが、日本の会社に馴染めずに挫折。結局、半年とたたないうちに2社ともやめることになったが、その事実にショックを受けていたのは誰でもない夫自身だったのだ。
「次の仕事を焦って探したくない」
私は夫の決断を尊重することにした。……とはいえ生きていくのにお金は必要なわけで。そこはどうするつもりなのか。
夫は、半年くらいは働かずに大丈夫な貯金があると言った。だから、千葉県にある格安シェアハウスに一緒に引越そうと。
格安シェアハウスってなんだ。
聞くと、外国人向けに水道光熱費ネット料金込み込みで家賃6万ほどのシェアハウスがあるのだとか。すべて込々で6万はたしかにお手ごろではある。しかも自分で電気やガス、水、通信会社と契約する必要がないのは、漢字のできない外国人には夢のような賃貸だろう。さらにオーナーの日本人男性は、英語が話せるという。
前述の不動産契約解消にあたり、「日本語のこむずかしい契約書」や難解な不動産用語でやりとりすることに辟易していた夫である。ハウスオーナーが英語を話せることは、「格安」であることよりも、決め手になった。
だが私は。一応婚約者ではあるが、夫は「事実婚」希望者だ。将来的に、私の望む形(入籍)で結婚できる可能性は低いだろう。そもそも、事実婚という関係を望むあたり、法的責任を負ってまで私との関係は望んでないのかもしれない。「浮気疑惑」もまだ解決してないし……。私は、夫の私に対する気持ちを信用しきれないでいた。
「私は一緒に千葉には行かないよ」
夫を信頼できない状態で、住む家や生活費などをおんぶにだっこして面倒みてもらうのは嫌だった。2人の関係が平等でなくなる気がして。夫を失ったら自分の足で立てなくなるような気がして。
今思うと、私はたぶん怒っていたのかもしれない。アメリカ旅行から帰ってきたときは、入籍するかしないかは置いといて、2人で過ごす時間をもっと大切に純粋に楽しんでいこう、とか思っていたくせに。ほんとうは、入籍したくないと言った夫を恨んでいたのだ。
そもそも、同棲したのだって夫と結婚すると思ったからだ。今、いくら婚約者だといわれても、婚約破棄事件があった以上、数年同棲したあとにまたそうならないとは限らない。だから、正式に結婚するまでは一緒には住めない、住みたくないと思った。
そんな私の決断を、神様は応援してくれた。退去の日が来る前に、とんとん拍子で新しい仕事先が決まったのだ。しかも第一希望の会社の編集職だ。おかげで新しく住む家も契約できた。
***
「じゃあ、またね」
同棲を解消するだけで、別れるわけじゃない。だけど。それでも。曲がりなりにも結婚しようと2人で見つけ、暮らしてきた家なのだ。その場所を去るのは、やっぱり悲しかった。
私が家を出て2週間後。夫は、千葉にあるシェアハウスへ引っ越していった。こうして夢の同棲生活は、5か月という短い期間で終止符を打ったのである。
4月某日。私は新しい会社の入社式に参加していた。新しい職場に、新しい人間関係、覚える仕事も多く、時間があっという間に過ぎる日々。
別居したことで思わぬ収穫もあった。念願だった「自分時間」が増えたのだ。それまでは週6で夫とデート、同棲してからは毎日夫と過ごしていたので、通い放題のヨガを全然「放題」できていなかったのだ。あとで読みたい……と積読された本もやっと読める。
だが、ヨガを放題したところで、積読本を通読したところで、何かが足りない。なんだかつまらないのだ。「1人時間」ってこんなにつまらなかったっけ……。
いつもそばにいた夫がいないというだけで。まるで世界が薬味のない蕎麦のように味気ないのだ。そうか。夫は私の人生をよりおいしく、風味豊かにしてくれる、薬味のような存在だったのか。
「会えない時間が愛育てるのさ」と郷ひろみが歌っていたけど、ほんとにその通りだ。会えない時間に薬味……いや夫がいかに大切か、再確認した。それだけじゃない。前よりも愛しく思うようになったのだ。
だが、ひろみはこうも歌うべきだった。
「会えない時間が疑心を強めるのさ」と。
そう、浮気疑惑の種は消えるどころか、静かにゆっくりと私の中に根付き、成長していたのである。
「私に会わない時間、夫は何をしているんだろう?」
17歳から働きづくめだった夫は、私の知らないところで「無職ライフ」を満喫していた。ずっと欲しかったエックスボックスを購入し、ファイナルファンタジー三昧の日々を送っていたのだ。
そんなこととは露知らず、夫を疑う私。その気持ちは会わない時間に比例して大きくなっていった。そして抑えきれなくなった猜疑心は、「かまをかける」という行動で夫に向けられていったのだった。
ある夜。ピコン、と私の携帯がなった。それは、夫の陥落を知らせるラインだった。
「話したいことがある」
かまかけ攻撃に耐えられなくなった夫はとうとう「もうこれ以上嘘はつけない」と過去の浮気を自白したのである。
疑惑が確信に変わる瞬間だった。さて、どうする私。
とりあえず「なぜ浮気した」のか、その心を聞いてみるか。別れるかどうかはそれからだ……。こうして私は号泣しながらタクシーに乗り込み、夫の住むシェアハウス、通称「ハッピーハウス」に絶賛アンハッピーで向かったのであった。
次回、「破局。そして婚活パーティーへ鬼参加」へ続く
***
次回もぜひお楽しみに。
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