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夫と結婚してから、ぐっと焼き魚を食べる機会が減った。
日本の食卓におなじみの「焼き魚」。グリルやフライパンで焼くだけで立派な一品になる主婦の強い味方であるが、我が家では出番がなかなかない。
というのも、夫が「あじの開き」や「ほっけ」といった、いわゆる干物をそんなに好きではないからだ。プラス、「骨」が多くてその作業にエネルギーを消耗し、食べた気がしないという。
言われてみれば、アメリカで食べた魚料理と言えば、すでに皮と骨が取られたフィレばかりだった。スーパーに並んでいる魚も、だいたいが骨取り済みのフィレ状。そんな国で育ったのだから、夫が日本の焼き魚を積極的に食べたいと思わないのも無理はない。
私にとって魚の骨をとるくらいなんともないが、骨の抜かれたフィレはたしかに食べやすい。子どもが生まれてからは特にそう思うようになった。わが子は鮭が大好きなのだが、骨がのどに刺さらないよう、毎回骨とり作業をしているからだ。
この作業はほんとうに手間で、しかもどんなに気を付けていても小さい骨の1、2本を見逃してしまう。さいわい子どもは敏感に気付き、「ママ骨あったー!」と吐き出してくれるのだが、それを見た夫から「ちゃんと骨をとって」と言われるたびにイライラしている。
そこで少し値ははるが、近所のスーパーで「骨なしの鮭」を買ってみた。だが、子どもの食いつきが悪い。不思議に思って一口食べてみると、たしかに骨あり鮭と比べてあまり美味しくないのだ。たんぱくすぎるというか。
「骨なし鮭」は人が手作業で骨を一本一本抜いて作られているようなので、味に影響してしまうなにか特別な加工をしているわけでもなさそうなのに。
はっ。まさか。
「カニはほじって食べてこそ美味しい」と同じ理屈なのだろうか。
私はカニが大好きなのだが、昔カニ食べ放題の店にいって食べたカニは、すでに食べやすいように剥いてあり、おいしかったのだがなんとなく味気なかった……。だがお正月に家族でカニを囲み、大変だ、めんどうくさいなどとグチグチ言いながらせっせと殻から身をほじりつつ食べたカニはおいしかった。そういうことなのだろうか。
楽して得たものはしょせん、それなり、ということなのだろうか。
そんなことを考えていたら、英語のことわざに"Nothing worth having comes easy"(楽をして得るものはない)というフレーズを見つけた。
まさに、これではないか。
焼き魚の神髄は、その食べる手間にこそあるのかもしれない。またその手間があるからこそ、人はあらためて「命」を頂戴していると実感できるのではないか。魚は、切り身の姿で海を泳いでいるわけではないのだ。それに、効率ばかりを求める人生なんて、そんなのはどこか寂しいではないか。
なんて、大そうな屁理屈を、今度アメリカ人である夫に伝えてみようかしら。
案外納得して、我が家で焼き魚の並ぶ頻度が増えるかもしれないから。
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次回もぜひお楽しみに。
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